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大阪高等裁判所 昭和32年(う)1426号 判決

被告人 浜田稲積

主文

原判決の有罪部分中強制わいせつ被告事件に関する部分、すなわち主文において被告人を懲役六月に処し二年間その刑の執行を猶予し且つ訴訟費用の負担を命じた部分を破棄し、同事件に対する公訴を棄却する。

理由

弁護人柏原武夫同上西喜代治両名連名及び弁護人渡辺俊雄の各控訴趣意中訴訟手続の違反を主張する点について。

本件控訴の対象となつたのは原判示第一事実であつて、これは、被告人に対する昭和二九年三月三日附起訴状記載の公訴事実第二の「被告人は昭和二九年一月中旬頃日不詳午前二時頃浜田病院二階四畳の間に就寝中の同病院見習看護婦A(当一八年)の布団中に秘かに侵入し、同女が熟睡中にしてその抗拒不能なるに乗じ、自己の左手を以て同女の着用せるパンツの上部から同女の陰毛部に手を挿入して、同陰毛に悪戯を為し、以て強制わいせつを為した」との強制わいせつの事実を、そのまま認定して、被告人を有罪に処断したものであることは、記録上明らかである。これに対し所論は、右公訴事実の強制わいせつ罪は親告罪であるところ、本件には告訴がなく、公訴提起の適法条件を欠如するから、右公訴は無効であつて、棄却せらるべきものであると主張するのである。

よつて案ずるに、強制わいせつ罪は親告罪であり、公訴を提起するには、告訴権者の適法なる告訴のあることを要件とすることは法文上明らかであるが、本件については記録を精査するも適法な告訴があつたものとは到底認めることができないから本件公訴は無効であつて、棄却すべきものであるといわなければならない。以下これを詳説するに、

記録中告訴権者の告訴の意思表示があつたと見られるのは、被害者Aの司法警察員本庄幸一に対する告訴調書中に「厳重な御処分をして載きたいと思います」との記載(記録一〇六九丁裏)があるのみで、他に告訴の意思表示があつたと見られる形跡はない。しかし、右のように被害者Aが司法警察員に対して当該犯人の処罰を求める旨供述した記載がある以上これによつて一応告訴権者の口頭による告訴のあつた事実が証明せられ、形式上告訴要件を充足している観はある。しかしながら更に審究するに、原審及び当審において取調べた各証拠によると、(一)Aは昭和二九年二月二三日学校から浜田病院に帰えつて来ると、同病院は麻薬法違反の嫌疑で家宅捜索を受け、不安な雰囲気にあつたので、何等事情がわからぬながらも他の同僚等と共にその成り行きを憂慮していたところ、警察官より直ちに下鴨警察署に連行され、同署で同日午後五時頃より午後一一時頃までの長時間取調を受けたので、当時僅か一八才であり、これまで警察官の取調を受けたことがなかつたため、非常な圧迫感を受け、取調中途に夕食として出されたうどんも口にし得なかつた程に高度の不安と恐怖に襲われていたことが明らかである。従つてかかる状況の下では、警察官の取調に対して十分に自己の真意を陳述し得なかつたものと推測するに難くはない。(二)親告罪の取調においては、被害者等から進んで告訴の申立をなしたものでない以上、告訴をなすや否やについては、告訴権者に告訴の意味を十分理解させた上熟考の余裕を与えた後に確めるのが相当であるにかかわらず、本件においては、上記のように被害者を突如警察署に連行し不安憂慮に沈みつつあるときに早急にこれを取調べ、告訴の意思を表示させたものであるから、右意思表示の真意が果して如何なるものであつたかにつき、多大の疑問を抱くものである。(三)Aは当審において本庄幸一から取調を受けたときは、親告罪及び告訴の意義等について何等説明されなかつたと証言しており、本庄幸一は当審証人としてこれを否定し、右意義について十分説明したと証言するけれども、その供述振りからみて到底措信し難いから同女は右取調を受けたときは告訴の意味やその効果についての知識は皆無であつたものと認められる。(四)さらにAは昭和二八年一〇月から被告人の経営する浜田病院に看護婦見習として勤務し、その傍ら準看護婦学校に通学し、将来看護婦の資格を得ることに希望を抱き精励していたものであり、前記本庄幸一の取調を受けた後も、引続き被告人方に宿泊し、勤務、通学していたことが明らかであつて、もし真に同女が雇主である被告人を憎み、厳重に処罰することを警察官に対し要望したものならば、その後も被告人及びその家族等と起居を共にして勤務通学を続けるということは、社会常識上到底理解し得ないところである。(五)また、Aは警察官及び検察官に対し告訴取下の申立をしたことは明らかであるが、この取下申立の事情について、同女は原審及び当審において、自分は何等告訴したことがないのに、他人から告訴したことになつていると聞かされたから、驚いて取下に行つたが、既に起訴されていて間に合わなかつた旨証言しており、右取下申立行為が他より強要されたため、または告訴後の心境の変化等によるものであると認定する資料が記録上存しないから、右証言する事情を一概に排斥することはできない。(六)なお、Aは当審において、警察官本庄幸一に取調べられた際、同人から被告人が他のいろいろの人に悪いことをしているが、左様な者を処罰してほしいと思わないかと尋ねられたので、自分は別に被告人から悪いことをせられていないから、同人の処罰を望まないが、そんな悪い人なら、そちらで処罰したらよいでしよう、と答えたのであるのに調書には「厳重な御処分をして戴きたいと思います」と記載されてあるので、不思議であると証言しており、また原審証人としても、ほぼ同趣旨の証言をしているが、本庄幸一は原審及び当審証人としてこれを否定し、Aの取調において何等不当のかどはなく、同女が被告人を厳重処分してもらいたい旨供述したので、そのとおり調書に記載したものである旨証言していて、両者の供述するところは相反するのであり、また同女の当審における、自分は下鴨警察署にこの時初めて連れられて行つたのであるが、最初武道場に、次に階下畳敷の部屋に、次に二階畳敷大広間に、次に階下の机、腰掛のある部屋に、連れて行かれ取調べられたと証言して、右二階広間の模様を述べておるが、本庄幸一は当審証人として、Aを二階広間に連れて行つて調べたことは絶対にないと証言していて、この点も両者の供述は一致しないが、この後者の不一致については当裁判所の検証の結果によると、同署二階広間の模様はAの証言するとおりであるから、同女の証言に信をおくべく、またこれより推して前者の不一致についてもAの証言に信用がおかれるのである。

以上(一)乃至(六)において説示したところを綜合すると、Aの司法警察員に対する供述調書中に「厳重な御処分をして載きたいと思います」との記載はあるが、これは警察官の取調が不十分であつたため、同女の真意を十分に確めないままに右のように記載したもので、当時同女の真意はむしろ被告人を告訴するような考えが全然なかつたものとみるべく、従つて警察官に対して被告人を告訴する旨の意思表示をなしたことはなく、ただもしも被告人に警察官の言う様な非違があるならば、その筋において処罰されたらよいであろう程度のことを陳述したに過ぎず、同女が強制わいせつ罪の被害者として、その犯人たる被告人の処罰を求める意思表示をしたものではないと認定し得るのである。このことは、もし検察官においてこの点の取調を十分にしていたならば、一層明確となつていたことであろうに、記録を精査しても検察官が被害者を取調べながら、この告訴意思の有無の点について尋問した形跡が全然見当らない。また、当審証人那須俐夫の尋問調書によると、検察官はAを取調べた際、同女に対し親告罪や告訴の趣旨について何等説明しなかつたことが明らかである。しかし告訴の意思の有無が多少でも問題になるおそれのある本事件の捜査過程においては検察官は被害者を取調べるに際して、親告罪及び告訴の趣旨を説明した上、告訴意思の有無を重ねて確めるべきであつて、それは被害者の利益自体を保護する上にも重要なことといわなければならない。然るに本件において検察官は折角被害者Aを取調べながら、何故にこの点の尋問をなさなかつたのであろうか、もしもこの点も尋問しているのであるならば、何故これを調書に記載しなかつたのであろうか、甚だ理解に苦しむところである。

以上の次第で、本件強制わいせつの公訴事実は親告罪であるにかかわらず、真実の告訴がなく、公訴提起手続が適法条件を欠如しているから無効であるのに、原審が不法にこの公訴を受理し有罪判決をなしたものであつて破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて爾余の控訴の趣意についての判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第三七八条第四〇〇条但書に則り原判決を破棄しさらに判決する。

被告人に対する昭和二九年三月三日付起訴状記載の公訴事実第二は前記のとおりであるが右は親告罪であるにかかわらず真実の告訴はなく、右公訴は公訴提起の適法条件を欠如するので、無効であるから、同法第三三八条第四号に従い主文のとおり判決する。

(裁判官 万歳規矩楼 武田清好 小川武夫)

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